コレクション:黒澤家文書II(黒澤止幾子関係)
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常陸国茨城郡高野村(現茨城県東茨城郡城里町錫高野)に生まれた志士・教育者の黒澤止幾子(黒沢とき、1806-1890)の遺品や、和歌・俳諧の書などの史料。目録の表題件数では、正保5年(1648)から昭和59年(1984)まで1,536件の史料が現存している。本文書は、黒澤止幾子顕彰会から茨城大学図書館に寄贈されたものである。
安政6年(1859)の「乍恐奉献 天子江長歌短歌」といった黒澤止幾子自身の和歌や肖像写真の他、曾孫婿・黒澤峰三郎宛の書簡や文書など、主に近現代の黒澤家に関係する文書によって構成されている。また、明治21年(1888)神道御嶽教教会所として設置された常磐教会所に関する史料もある。なお、黒澤止幾子関係の史料は、他に茨城県立歴史館や桂郷土資料館に日記や書状が保管されている。
黒澤止幾子は、代々修験者で寺子屋も開いていた黒澤家に生まれた。安政5年(1858)の安政の大獄で水戸前藩主徳川斉昭らが罰せられた際、その無実を訴える長歌を献上するため単身上京した尊王の女性志士として知られている。和歌や俳諧に優れ、半生を寺子屋の師匠として過ごし、明治維新後は日本初の女性教師のひとりとなった。生家は現在城里町の指定史跡となっている。