コレクション:水府家御屋敷割図
水戸藩の学者で彰考館員でもあった石川桃蹊(1756-1837)が作成したとされる水戸の城下絵図。石川家で所蔵していたと考えられ、平成20年(2008)に茨城大学図書館が購入した。石川桃蹊は、水戸藩士で、歴史書「大日本史」の編纂局である彰考館に務め、水戸藩の家史「東藩文献志」の編修に携わった人物である。
絵図の記載内容を見ると、中央の「御城」の隣に「弘道館」と書かれている一方、天保13年(1842)に開園した偕楽園の記載が無いことから、藩校弘道館の建設予定期である天保期の1830年代後半に拝領屋敷を賜っていた武士名を記載した絵図と推定される。本図は、これを文久元年(1861)に写したものと考えられている。
藩校「弘道館」は、藩主徳川斉昭によって天保初期から建設計画が進められたが、財政難や凶作、藩内対立などの影響で延期が続き、天保10年(1839)に城内三の丸の地に敷地が決定した。翌11年3月から建設工事が着手され、天保12年(1841)7月に竣工、翌8月に仮開館式が行われている。